Vol.19

房総半島の“川廻し”

千葉県

川廻しとは

標高300m余の房総丘陵を水源に持つ河川は、流域面積も500km2以下の二級河川で占められています。その中で嶺岡山系から流れ出す県内河川の中でも5指に入る養老川、小櫃川、夷隅川などは上流から中流部にかけて山地部と平野部の境を川が流れ下る際、浸食、堆積を繰り返して、大小の蛇行地形を形成してきています。

Ω形状に極端に蛇行する流路の絞った位置を短絡して、流路を変えることを当地では川廻し、ショートカットと呼んでいます。以前の流路を旧川、フルカワ、新しい流路を新川、シンカワと区別しています。

地形・地質的特徴

このような地形は長い年月の中で自然に形成された箇所もありそうですが、そのほとんどが江戸時代から昭和の戦前頃までに進められてきた新田開発のための川廻しです。蛇行河川の巾着部をカットし、旧川を田んぼにしてゆく地域の切なる要請によるものです。この工事は最小限の断面でトンネルを掘って流路を変える方法が主流だったようです(作業員が自分の背丈に見合った最小限の幅二尺、高さ五尺の“二五穴”と呼ばれている)。ただその後、トンネル上部が風化、浸食作用により上面が青天井の状態になった箇所もあります。

もっとも、戦後の高度成長期になると、河川の治水対策として、蛇行河川の曲流部を直流化し、洪水の流下能力を増し、上流の浸水被害を軽減する手法が各地で取り入られてきています(その際、下流側の洪水被害対策も同時に考慮しなければなりません)。

このような川廻しは、房総半島特有の事例のようで他の県では余り実施例を聞いたことがありません。その理由については、当地の地形、地質の特性によるとされています。房総半島は数百万年前は深い海の中にあって、その後海洋プレートの潜り込むことによる急激な隆起活動によって現在の房総半島に陸地化したと推測されています。そのため地層の固結度もゆるく、丘陵地帯を流下する川による浸食作用が極めて大きい地域になっており、そのことが、川の蛇行も激しくなると同時に川崖にトンネルを穿つなどの人力による短絡工事も可能にするメリットも生まれてきたわけです。

さらに付け加えれば、川崖に軟岩の層が主の地層が連なっている状況となっていることは、現代の我々が、数百万年~数十万年前の地層を陸上で直に観察できるという機会を与えてくれたということにもなるわけです。

昨今話題のチバニアンは77万年前の地磁気逆転時の海底堆積層が陸上で観察できるという世界中でも極めて稀な場所として養老川中流部の川崖が選ばれたことに繫がっています。

そのチバニアンが白尾の川廻し箇所と隣り合わせの場所にあるということは、何の偶然でもありません。

川廻しの例

次に川廻しの事例をいくつか紹介します。

1.養老渓谷周辺の川廻し:養老川筋 市原市朝生原~大多喜町葛藤

①葛藤地区 養老渓谷温泉街が大きく蛇行した養老川のくびれ部にあたり、東側台地をぐるっと取り囲んだフルカワが水田になっている。江戸時代の工事。

②渓谷橋 昭和45年の水害を契機に、流下能力を増すためにトンネルを開削し、橋が架けられた。

③弘文洞 江戸時代の川廻しトンネルの跡、昭和54年に天井部が崩壊した。

葛藤

渓谷橋

弘文洞

2.白尾の川廻し:養老川筋 市原市田淵

昭和の初期に農業振興事業として川廻しトンネルが掘られた。その後昭和50年代に天井が崩落した。川の蛇行の形が琵琶に似ていることから琵琶首(びわくび)変じて白尾(びゃくび)が当地の小字になっている。

3.堂谷の川廻し:小櫃川筋 袖ヶ浦市堂谷

前述の養老川の渓谷橋と同じ昭和45年水害で災害復旧助成事業として川廻し(ショートカット)工事が実施された。フルカワの一部は現在市の公園になっている。

<主な参考資料・画像出典>

千葉県中央博物館資料


「千葉県の災害改良復旧事業」(千葉県河川課)

(Up&Coming '24 春の号掲載)